愛知県と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「トヨタ」かもしれません。
確かに、日本を代表する自動車メーカーが本社を構えるこの地域は、製造業の街として全国的に知られています。
しかし、愛知のものづくりを支えてきたのは、トヨタのような大企業だけではありません。実はこの地には、創業から100年以上にわたって事業を続けてきた製造業が数多く存在しています。しかもその多くは、全国的な知名度は高くないものの、特定の分野で確かな技術を持ち、日本の産業を静かに支え続けてきた企業です。
なぜ、愛知にはこれほど長く続く製造業が多いのでしょうか。
なぜ、時代の変化や景気の波を乗り越え、100年という時間を積み重ねることができたのでしょうか。
この記事では、愛知県に100年以上続く製造業が多い理由を紐解きながら、長寿企業に共通する特徴、そして実際に100年を超えてものづくりを続けてきた企業を紹介していきます。
「就職」や「転職」という視点だけでなく、この街がどんな産業の上に成り立っているのかを知る読み物として、ぜひ最後まで読んでみてください。
- 愛知には、なぜ100年以上続く製造業が多いのか
- 愛知で100年続く製造業に共通する3つの特徴
- 岡谷鋼機株式会社|江戸時代から続く、日本のものづくりを支える“黒子”
- 株式会社 鶴弥|三州瓦とともに歩んだ、日本の暮らしを支える老舗メーカー
- 愛知時計電機株式会社|暮らしの当たり前を100年以上測り続ける、名古屋発の技術企業
- オークマ株式会社|世界の工場精度を支える、愛知発・工作機械メーカー
- 笹徳印刷株式会社|“刷る”を超えて、時代の情報を届け続ける老舗印刷会社
- ノリタケ株式会社|世界の食卓に広がった、名古屋生まれの“白い器”
- 側島製罐株式会社|缶ひとつで、暮らしと産業を支え続ける老舗メーカー
- 豊和工業株式会社|織機から始まり、国家を支えるものづくりへ
- まとめ|愛知の製造業を知ることは、この街を知ること
愛知には、なぜ100年以上続く製造業が多いのか
愛知県は、日本の中でも特に「ものづくり」が根づいた地域です。
その背景には、単に工場が多いというだけではない、歴史・立地・産業構造が重なり合った理由があります。
・古くから続く「商業×職人文化」の土壌
愛知県(尾張・三河エリア)は、江戸時代から木工、金属加工、繊維などの地場産業が発展してきた地域です。
大量生産よりも、技術を磨き、代々受け継ぐことを重視する文化が根づいており、この「積み上げ型のものづくり」が長寿企業を生みやすい土台となってきました。
・トヨタを中心とした強固な産業集積
愛知の製造業を語るうえで欠かせないのが、自動車産業の存在です。
トヨタを中心に部品メーカーや加工業者、設備関連企業が集まり、特定分野に特化した企業が数多く育ちました。中には、ある工程だけで日本トップクラスの技術を持ち、他社では代替できない役割を担っている企業もあります。
・無理に拡大しない「堅実な経営姿勢」
愛知の製造業には、急成長よりも継続を重んじる企業が多く見られます。
受注量・人員・設備投資を身の丈に合わせ、技術力の維持と品質を最優先する。
こうした堅実な経営判断が、結果として100年という長い時間を生き抜く力につながっています。
・技術と人が地域内で循環してきた
親から子へ、師匠から弟子へ。
愛知では、同じ地域で働き続ける人が多く、技術やノウハウが途切れにくい環境がありました。人材の定着と技術継承が自然に行われてきたことも、長寿企業を支える大きな要因です。
こうして見ていくと、愛知の100年企業は「特別な成功例」ではなく、地域の歴史・産業構造・価値観の積み重ねの中で生まれてきた存在だと分かります。
愛知で100年続く製造業に共通する3つの特徴
100年以上続く企業というと、「特別な経営者がいたから」「昔から運が良かったから」そんなイメージを持つ人も多いかもしれません。
しかし、愛知の製造業を一社ずつ見ていくと、そこには共通する“考え方”や“積み重ね方”があることが分かります。
ここでは、実際に100年以上続いてきた製造業に見られる3つの共通点を整理してみましょう。
① 規模の拡大より、技術の深化を選び続けてきた
100年以上続く製造業の多くは、売上規模や社員数を急激に拡大する道を選んできたわけではありません。むしろ、自分たちが担う技術や工程を明確にし、その分野で誰にも真似できないレベルまで磨き上げることに時間を使ってきました。
派手さはなくても、なくてはならない存在になる。そのために、手間がかかる仕事や、他社が敬遠しがちな工程を引き受け、技術を積み重ねてきた企業が多く見られます。結果として価格競争に巻き込まれにくく、景気の波にも比較的強い立場を築いてきました。
事業を大きくするより、技術を深くする。この判断が、長く続く土台になっています。
② 大きく変えず、時代に合わせて変わり続けてきた
100年続く企業は、昔ながらのやり方を頑なに守ってきた存在ではありません。むしろ、時代の変化を敏感に感じ取りながら、少しずつ姿を変えてきた企業ばかりです。
原材料の変化や製造技術の進化、取引先や業界構造の変化に対して、一気に方向転換するのではなく、小さな調整を積み重ねてきました。設備を更新し、技術を取り入れ、扱う分野を少しずつ広げる。その積み重ねが、結果として大きな変化につながっています。
外から見ると「昔と変わらない会社」に見えても、内側では常にアップデートが続いている。この静かな変化こそが、100年企業の強さです。
③ 人と技術を「一時の資源」にしなかった
製造業において最も重要なのは、設備や建物ではなく、そこで働く人と受け継がれてきた技術です。100年続く企業の多くは、この点を非常に大切にしてきました。
短期的な人員補充や効率化を優先するのではなく、時間をかけて人を育て、技術を次の世代へと引き継いでいく。現場と経営の距離が近く、現場の声が経営判断に反映されやすい環境が保たれている企業も少なくありません。
技術が個人に属するものではなく、会社全体の財産として蓄積されていく。この姿勢が、100年という長い時間を支えてきた最大の理由だと言えるでしょう。
岡谷鋼機株式会社|江戸時代から続く、日本のものづくりを支える“黒子”
愛知県には、100年以上にわたり日本の産業を支え続けてきた製造業・関連企業が数多く存在します。その中でも異彩を放つのが、江戸時代から続く岡谷鋼機株式会社です。完成品として表に出ることは少ないものの、日本のものづくりを根底から支え続けてきた存在として、今も産業界で重要な役割を担っています。
創業は1669年江戸時代。始まりは一軒の商いから
岡谷鋼機の創業は1669年。まだ近代的な「製造業」という概念すら存在しなかった時代、名古屋の地で商いを始めたことが原点です。江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と時代が大きく変わる中で、扱う商材や役割は柔軟に変化してきました。しかし一貫しているのは、「社会や産業に必要とされるものを提供する」という姿勢です。変化を恐れず、時代の要請に応じて事業の形を進化させてきたことが、300年以上続く企業としての土台を築いてきました。
日本の製造業を陰で支える存在
現在の岡谷鋼機は、鋼材を中心に機械、エネルギー、環境分野など幅広い領域で事業を展開しています。製品名が一般消費者の目に触れることは少ないものの、多くの製造現場にとって欠かせない存在です。必要な素材や設備、情報を的確につなぐことで、製造業の安定稼働を支えています。派手な広告やブランド戦略ではなく、信頼と実績を積み重ねることで評価されてきた企業。岡谷鋼機はまさに、日本のものづくりを裏側から支える“黒子”のような存在です。
株式会社 鶴弥|三州瓦とともに歩んだ、日本の暮らしを支える老舗メーカー
愛知県の三河地方には、日本の住宅文化を長年支えてきた企業が数多く存在します。その代表格の一つが、三州瓦の製造で知られる株式会社鶴弥です。普段は意識されにくい屋根材という分野で、100年以上にわたり日本の暮らしを守り続けてきた、まさに縁の下の力持ちのような存在です。
創業は1887年。三州瓦の産地から始まったものづくり
鶴弥の創業は1887年。愛知県西三河地域で盛んだった三州瓦づくりを背景に、その歴史は始まりました。瓦は住宅の耐久性や安全性を左右する重要な建材であり、品質の差が暮らしに直結します。鶴弥は創業当初から、長く使える瓦づくりにこだわり、技術と品質を磨き続けてきました。時代とともに住宅様式が変化する中でも、伝統的な製法と現代的な技術を融合させながら、安定したものづくりを続けてきたことが、130年以上続く企業としての礎となっています。
屋根材メーカーとして、日本の住まいを守り続ける存在
現在の鶴弥は、瓦メーカーとしてだけでなく、防災性や耐久性に優れた屋根材の開発にも力を入れています。地震や台風といった自然災害が多い日本において、屋根は住まいを守る最前線です。見た目の美しさだけでなく、安全性や機能性を追求する姿勢は、創業以来変わっていません。住宅の完成後に社名が語られることは少なくても、多くの家の屋根の上で、人々の暮らしを静かに支え続けています。鶴弥は、日本の住文化を裏側から支える老舗企業です。
愛知時計電機株式会社|暮らしの当たり前を100年以上測り続ける、名古屋発の技術企業
水道やガス、電気といったインフラは、使えて当たり前の存在です。その「当たり前」を支えているのが、正確に“量”を測る技術。名古屋に本社を構える愛知時計電機は、流量計や計測機器を通じて、日本の暮らしと産業を100年以上にわたり支えてきた老舗メーカーです。
創業は1898年。国産計測機器への挑戦から始まった
愛知時計電機の創業は1898年。当時、日本では計測機器の多くを海外に頼っていました。その中で、国産技術による計測機器の開発に挑んだのが愛知時計電機の原点です。水道メーターやガスメーターといった生活に直結する分野で技術を積み重ね、正確さと耐久性を追求してきました。数字を「測る」という一見地味な領域ですが、誤差が許されない世界だからこそ、長年にわたる信頼が不可欠です。その信頼を一歩ずつ積み上げてきたことが、100年以上続く企業としての基盤となっています。
見えない場所で、日本のインフラと産業を支える存在
現在の愛知時計電機は、上下水道やガスといった公共インフラ向け機器に加え、工場やプラントで使われる産業用計測機器も手がけています。計測データは、設備の安全性や効率を左右する重要な情報です。普段の生活で社名を目にする機会は少なくても、日本中の家庭や工場のどこかで、同社の技術が静かに働いています。派手さはなくとも、社会に欠かせない役割を担い続ける――愛知時計電機は、まさに“測る技術”で日本を支える老舗企業です。
オークマ株式会社|世界の工場精度を支える、愛知発・工作機械メーカー
スマートフォン、自動車、航空機――高度な製品の裏側には、必ず「削る・仕上げる」技術があります。その要となるのが工作機械。愛知県大口町に本拠を置くオークマは、世界中の製造現場で使われる高精度な工作機械を生み出し、日本のものづくりを足元から支えてきた老舗メーカーです。
創業は1898年。麺づくりから始まった技術の系譜
オークマの創業は1898年。意外にも、その始まりは製麺機の製造でした。より良い麺を安定して作るために追求した「精密に動かす技術」が、やがて旋盤などの工作機械へと発展していきます。金属を削り、ミクロン単位の精度を実現する――そのために、機械本体だけでなく制御技術や材料選定まで自社で磨き上げてきました。時代ごとに求められる精度や速度は変わっても、基礎となる技術へのこだわりを手放さなかったことが、100年以上続く企業としての強さにつながっています。
「母なる機械」をつくり続ける、世界トップクラスの存在
工作機械は「マザーマシン(母なる機械)」とも呼ばれ、あらゆる製品を生み出す源となる存在です。オークマは、その分野で世界的に高い評価を受けており、航空宇宙、自動車、精密部品など幅広い産業を支えています。製品の精度だけでなく、長時間安定して稼働する信頼性も強みの一つです。表に出ることは少なくても、世界中の工場で静かに稼働し続けるオークマの機械。その存在は、日本の製造業が培ってきた技術力そのものと言えるでしょう。
笹徳印刷株式会社|“刷る”を超えて、時代の情報を届け続ける老舗印刷会社
本やパッケージ、説明書、チラシ。私たちの身の回りには、今も「印刷物」があふれています。その当たり前を、100年以上にわたって支えてきたのが名古屋発の笹徳印刷。時代ごとに役割を変えながら、情報を“かたち”にする仕事を続けてきた、愛知の老舗企業です。
創業は1891年。情報を刷る仕事で地域と共に歩む
笹徳印刷の創業は1891年(明治24年)。新聞や書籍、商業印刷が人々の情報源だった時代から、同社は印刷を通じて社会と関わってきました。活版印刷から始まり、オフセット印刷、さらにはデジタル技術の導入へと、時代の変化に合わせて技術を更新し続けてきた点が大きな特徴です。ただ刷るだけでなく、「どう伝えるか」「どう読みやすくするか」といった視点を重ねてきたことで、印刷会社としての存在価値を守り続けてきました。
印刷×企画で進化する、現代のものづくり企業
現在の笹徳印刷は、単なる印刷会社にとどまりません。企画、デザイン、情報整理まで含めた“伝えるための仕組みづくり”を担う企業へと進化しています。紙媒体だけでなく、デジタルとの連携や業務効率化の提案など、顧客の課題解決に踏み込む姿勢も特徴です。表に出ることは少なくとも、企業や社会の情報発信を裏側から支え続ける存在。笹徳印刷は、時代が変わっても「情報を届ける仕事」の本質を守り続けている100年企業です。
ノリタケ株式会社|世界の食卓に広がった、名古屋生まれの“白い器”
洋食器と聞いて、多くの人が思い浮かべるブランドのひとつがノリタケ。実はこの世界的ブランドが、名古屋で生まれた企業だということは、意外と知られていません。美しい白磁と精緻な絵付けで、100年以上にわたり世界中の食卓を彩ってきた、愛知を代表する老舗企業です。
創業は1904年。日本初の洋食器輸出を目指した挑戦
ノリタケの始まりは1904年(明治37年)。当時の日本ではまだ珍しかった洋食器を、本格的に海外へ輸出することを目標に創業されました。高い品質が求められる陶磁器の世界で、試行錯誤を重ねながら技術を磨き、やがて「ノリタケ」の名は海外市場で高く評価されるようになります。日本のものづくりがまだ世界に知られていなかった時代に、品質で勝負し続けた姿勢こそが、ノリタケが長く続いてきた理由のひとつです。
食器から先端素材へ。変化を恐れない老舗企業
現在のノリタケは、洋食器メーカーという枠を超え、工業用セラミックスや電子部品材料など、先端分野にも事業を広げています。美しさと精度を両立させてきた陶磁器づくりの技術は、工業分野でも高く評価されています。時代の変化に合わせて事業領域を広げながらも、「素材と向き合うものづくり」という軸は変えていない点が、100年企業としての強さ。ノリタケは、名古屋から世界へ挑戦し続ける製造業の象徴的な存在です。
側島製罐株式会社|缶ひとつで、暮らしと産業を支え続ける老舗メーカー
飲料や食品、工業製品など、私たちの身近なところで使われている「缶」。その当たり前を長年支えてきたのが、愛知に根付く側島製罐株式会社です。派手さはないものの、確かな技術で社会を支え続けてきた、まさに製造業の“縁の下の力持ち”といえる存在です。
創業は明治時代。生活必需品を支えたものづくりの原点
側島製罐は明治期に創業し、100年以上にわたり金属容器の製造を続けてきました。食品保存や流通の発展とともに、缶という存在は生活に欠かせないものとなり、その需要に応える形で技術を磨いてきた企業です。時代ごとに求められる品質や安全性は変わっても、「中身を守る」という本質は変わらない。その本質を突き詰めてきた姿勢が、長く選ばれ続けてきた理由といえます。
大量生産ではなく、信頼される品質で生き残る
現在の側島製罐は、単なる大量生産ではなく、用途や顧客ニーズに応じた高品質な製缶技術を強みとしています。食品分野だけでなく、工業用途など専門性の高い分野にも対応し、取引先からの信頼を積み重ねてきました。目立つブランドではなくとも、確実に社会を支える存在であり続けること。その姿勢こそが、愛知の町工場・中堅製造業が持つ本当の強さを物語っています。
豊和工業株式会社|織機から始まり、国家を支えるものづくりへ
愛知の製造業と聞くと自動車産業を思い浮かべがちですが、その土台を築いてきた企業のひとつが豊和工業です。繊維機械メーカーとして始まり、現在では産業機械から防衛分野まで手がける老舗企業。日本の産業と時代の変化を、そのまま体現してきた存在といえます。
創業は1907年。日本の近代化を支えた織機メーカー
豊和工業は1907年(明治40年)創業。当初は繊維産業を支える織機メーカーとしてスタートしました。明治から昭和初期にかけて、日本の近代化を進めるうえで繊維産業は重要な役割を担っており、同社の機械はその中核を支えてきました。単なる製品供給にとどまらず、産業全体の発展を見据えたものづくりを続けてきた点が、長く続く基盤となっています。
産業機械から防衛分野へ。技術を活かし続ける老舗
現在の豊和工業は、繊維機械だけでなく、工作機械や建設機械、防衛関連製品など幅広い分野で事業を展開しています。共通しているのは、高精度・高耐久を求められる領域で技術を発揮している点です。時代の要請に応じて事業内容を変化させながらも、「日本の産業を支える機械をつくる」という軸は変えていません。豊和工業は、愛知の製造業が持つ進化力と持続力を象徴する企業です。
まとめ|愛知の製造業を知ることは、この街を知ること
愛知には、100年以上にわたってものづくりを続けてきた製造業が数多く存在します。それらの企業に共通しているのは、時代の変化に流されるのではなく、社会に必要とされる役割を見極めながら、自分たちの技術を磨き続けてきた姿勢です。派手な表舞台に立つ企業もあれば、名前は知られていなくとも産業や暮らしを根底から支える企業もあります。
こうした企業の積み重ねが、現在の「製造業県・愛知」を形づくってきました。企業の歴史を知ることは、単なる昔話ではなく、この地域がどのように発展し、どんな価値観を大切にしてきたのかを知ることでもあります。愛知の製造業を知ることは、この街そのものを知ること。そんな視点で改めて地域に目を向けると、まだ知られていない魅力が、きっと見えてくるはずです。